Home Again

4LDKマンションのインテリア変遷キロク

なんとなく(いろいろありすぎて上手く書けないため,突然消去するかもしれません)

なんとなく,ガンを罹った母の世話で金沢,大阪,長野,埼玉を奔走している間に流産したこと。父妹とともに母を荼毘に付した後,シオシオを出産したこと。その直後に今度は父がガンに罹り,家族4人で金沢と大阪の間を走り廻っていた頃のこと。父も亡くなり自宅を処分し,ボロボロの状態で東京へ引越した頃のことなどを思い出す。

単身赴任者と独身者,若夫婦が大半の「地方」と違い,「東京」の社宅には家族がぎっしり詰まっていて,子供は赤ちゃんから社会人まで,妻も20代から50代までと,様々な世代がひしめき合っていた。社宅そのものの周辺環境や子育て事情が地方よりも格段厳しかったためか,心身ともに苦しむ主婦が多かった。

連日赤ちゃん抱きっぱなしで体を壊した引きこもり20代の方,神経の細い子の子育てで自分の神経まで壊しかけてしまった30代の方,小学生の男児2人抱えながら脳梗塞の義母と気難しい義父の世話で不眠になってしまった30代の方,男の子3人の子育て+更年期で疲れ果て心身ともに苛まれてしまった40代の方,そしてこんな社宅内のお付き合い自体で精神のバランスを崩してしまった方々等など。とにかく健全な状態の主婦を探すのが困難とさえ思えるようなところだった。

かく言う私も,両親と家を失ったズタボロ状態でそんな社宅に入り,田舎育ちのアツは東京生活になかなか馴染めないは,社宅内のつまらぬ(しかし恐ろしい)抗争に巻き込まれるはで,フツーでなくなっていった。なんとか朝ごはんだけは作って,洗濯掃除まではするのだけれど,その後倒れて起き上がれなくなってしまう。原因不明の筋肉痛で右腕が上がらなくなってしまったり(これは後にストレスが原因とわかる),突然,涙が止まらなくなって思考停止になったことも度々。その昔,臨床心理士の友人に「世界中がおかしくなっても,アンタはのほほんとやっている」(おそらく褒め言葉ではない)と言われ,両親の病気から死に至る混乱も一応は潜り抜けることができた(問題が完全になくなったわけではないが)のに,この時ばかりはダメだった。

階下の主婦(元気な男の子3人の母,会社中で超有名な「木の実」*1)から「あなたの家の足音はすべて聞こえる。誰がどこにいてどこに行ってるかも全部わかる。煩くて心臓が飛び出そう」と言われ,子供の友達の出入りまで綿密にチェックされていることがわかったり。アツが社宅の主婦(別人)から一方的に犯人と呼ばれ(これは後日彼女の思い込みだったと判明),あの子とは遊ぶなと触れ回られていることがわかったり。

中でもいちばんひどかったのは,一見オッカサン風で大らかそうな奥様に,困ったときにはいつでも愚痴を言いに来なと優しく言われ,階下への音のことを何気に相談してしまったときだった。その時から,これ幸いとばかりに執着されるようになり,毎日のように長時間電話の相手をさせられたり,家にやって来られたり,呼び出しを食らうようになった。子供が泣こうが夕飯作る時間になろうが関係なしで,同じ話を何度も何度もする。それも自分の話ばかりで,こっちが違った意見を言おうものなら血相を変え,こっちが納得したと言うまで何度でも自説を繰り返す。本人は相談に乗ってあげているつもりだから,「お話ようやくわかりました。ありがとうございました」とこっちが言うまで,絶対に終わらないのだ。

結局,もともと我が家の階下の主婦といがみ合っていたところに,私が来たものだから,何が何でも自分側に取り込みたかったのだろう。毎回,相手の悪口を聞かされるのだが,その都度悪口を言う羽目になった自分の弁明まで聞かされるのは勘弁だった(私は本来こんなことを言う人間じゃないんだよ,とあくまでいいヒトを演じようとする)。音の問題より,この方の問題の方が負担になってきていると気づき,少しずつ距離を置き始めると,今度は「傷つけられた」と噛み付いてくる始末。当時,彼女が執着していた相手は私だけだったし,見た目は本当に頼りがいのあるオッカサン風いいヒトなので,誰にも彼女のことを相談できなかったというのが何よりキツかった(後日,別の犠牲者が発覚したときには,犠牲者同士で泣けてしまったくらいだ。うう)。

こんな状態だったとき,さらに優しかった義母までがガンになった。京都と東京の間を何度も往復する生活が続き,金銭的にも危なくなり,いよいよダンナまでおかしくなってきた頃には,夫婦間も無茶苦茶になっていた。そうなると,もう何のために自分がその場にいるのかがわからなくなり,「離婚」という言葉が頭の中を渦巻いたりした(実家も両親もないのにどうするんだよ>当時の私)。…義母の死を見届け,アツが自分の力を身につけ始め,シオシオが幼稚園に入り,自分自身にも友達が出来始めてようやく回復基調に入ってこれたのだ。

しかし今考えると,大ダメージを与えたのは,社宅の「木の実」主婦たちから被った害そのものよりも,このままだったら自分もああなってしまうかもしれないという恐怖と,それに対するどうしようもない無力感だったように思う。ああでも,子供が責められたというのがいちばんキツかったかもしれない。

あの頃に比べると,今は友達と離れてちょっと寂しいが,本当に気楽なものだ。東京生活も最後の2年は楽しく過ごせるようになったわけだし,また行ってもいいなと思えるようにもなってきた。ま,人間到るところ青山ありだし,Ob-la-di Ob-la-da life goes on bra! (うちの本では「私の命ブラの上」と訳されてる。ケロケロケッケ。でもこれもまた宜しいんでないかと。春樹師匠,私も「人生山あり谷あり」説に一票!)。 

*1:言うまでもないが"nut"