Home Again

4LDKマンションのインテリア変遷キロク

Kiran Desai ”The Inheritance of Loss” 285~324p -6  読了

美しいヒマラヤ山麓。しかしそこでの暮らしには、複雑な人種や宗教の違いが根深い偏見や諦念となって絡まりあい、どうしようもない貧しさと退廃的なにおいが立ち込めている。

かつて豊かさを掴むには、欧米文化に追従するしかないと思われていた。しかしそうやって富を手に入れたはずの人間が、いちばん基本的な幸せを掴めていない・・・主人公サイの祖父は英国留学した元判事だが、彼の結婚生活には愛の欠片もなかった。富といっても引退後の今や、かつては立派だった屋敷もシロアリやネズミが巣食い、献身的なコックの努力で辛うじて生活が維持されているような状態だ。それでも、この地では間違いなく富裕者という事実が、いっそう物悲しい。

そんな静かな生活にも変化が訪れる。豊かさから見放された「弱者」、ネパール人の若者たちによる反乱・・・本当に自分たちが追い求めるべきものは欧米にあるのではない、自分たち本来の文化と誇りを取り戻せという運動が湧き起こる。貧しいながらもささやかな豊かさを求めていたネパール人の数学家庭教師ギャンとサイの関係も、イデオロギーの狭間で揺れ動く。一方、コックの生きる支えである息子ビジュは、従来どおり欧米で豊かさを掴もうとNYに出て、不法移民として働いている。誰もが生きていくために懸命だ・・・が、幸せを掴むために必要なものは何か、何が正しくて何が間違っているかという答えは誰にもわからない。

結局、ギャンは一時的な革命の熱に囚われ、欧米追従型の豊かさの象徴であったサイを切り離そうとしながらも、従来の自分を捨てきれず、ビジュは帰国したところを地元インドで身ぐるみ剥がされ、アメリカで得たものをすべて失う。コックはどれだけ献身的に努力しても、主人の元判事から永遠に評価されない。その元判事も、最高の地位を得ながら愛や思いやりが理解できないまま・・・。

だがしかし、そんなボロボロの状態でも人は生きていかなきゃならないし、生きていくためには他人や自分の弱さだって受け入れていくしかない。そんな人々の、弱さや強さ、懸命さややるせなさ・・・みたいなものがぐっちゃになってひしひしと迫ってくる。どうしようもない哀しさの漂う人生ばかり。なのに、そこはかとないカタルシスや美しささえ感じさせられるのは、キラン・デサイの筆力故だろう。

The five peaks of Kanvhenjunga turned golden with the kind of luminous light that made you feel, if briefly, that truth was apparent. All you needed to do was to reach out and pluck it. (324p)

そこに生きる人々の人生や想いがどうであれ、壮麗な山々は変わらぬ姿であり続ける。と同時に、どんなに行き詰まった状況に陥っても人々が何とか踏みとどまり続けることができるのは、そこに変わらぬ山があるからかもしれない。そうやって懸命に生きようとする人の姿には、どこか魅せられるものがある・・・そんなことをじんわり感じさせられる、渋い作品だった。