Home Again

4LDKマンションのインテリア変遷キロク

帰省

8時出発。徳島・神戸経由で阪神高速を避け、山陽道を通って京都へ。

お盆明けということもあって、道路はガラガラ。何度か休憩を挟んだが、2時前には到着。1泊2日という強行日程だけに、4畳半の居間でのんびりオリンピック観戦したり、家族囲碁をしたり、とにかく「義父のペースで一緒に過ごす」ということを大事にする。

しかし、大きくなってきた子供2人を含め、37型の大型TVが置かれた4畳半の茶の間に5人もいると、ぎちぎちでさっぱり落ち着けない。続き間の窓なし和室に数名移動して、何とかやり過ごせるという感じだ。いちばん日当たりのいい8畳の洋間が独立した応接間で、北側に薄暗くて土間がむき出しの台所という、他人には見栄が張れるけど、家族(特に料理を引き受ける者)にとってはまったく居心地が良くない微妙な間取り。でもこれが、家が建てられた昭和40年代当時は「勝ち組の暮らしぶり」だったんだろうなあ。

義父のリクエストで応接間の照明を交換したのだが、こんなことひとつでも、一人暮らしになると億劫になるのかと、胸がちょこっと疼いた。白熱灯や電球型蛍光灯がねじ込まれた埃だらけのシャンデリアを降ろし、義父があらかじめ購入していたという純和風のペンダント型蛍光灯照明を取り付けると、残酷なまでに明るい蛍光灯が応接間のシミだらけで薄汚れた織り上げ天井を晒し出した。なんか、勝手にものすごく哀しくなってきた。

義父は年金も少なくないうえ、預貯金を株に投資してかなりの金額を稼いでいるという。そういう面に疎い私たち夫婦は、いつもそれで滔々と説教を受け、首を垂れるのが常である。4畳半の茶の間に置かれた大型TVやDVDレコーダー、最新のエアコンにパソコン。車は2500ccのブレイドだ。「株をやれば簡単に手に入るのに」と義父は言う。確かにうちは辛うじてエアコンを買い換えたくらいだし、車は2000ccの最下層レガシー(マンションは買ったけど、ははは;;)。義父のご自慢グッズは、ほとんどが我が家にないものばかりである。

価値観が違うというのはこういうことなんだろうけど、義父的に満足なら何も言わない。でも、埃だらけで薄暗い台所で作業するのは心底気が滅入るし(いつもおいしい食事を作ってくださるヘルパーさんには感謝のしようがない)、ハウスダストなんだろうか、二階で寝るといつもみな、くしゃみが止まらなくなる。カーテンや照明類はほとんど、30年前の住宅購入当時、前の住人の方が残していったものだという。ゴージャスなドレープカーテンは人が動くと埃が舞い立つし、田舎の親戚を泊めるために増やし続けてきた重たい布団類も、手入れが行き届かず埃を吸い続けている。

義姉のように、近くに住んで楽しいところに連れ出したり、手伝って欲しいと言われることを手伝ったり、というのがいちばんいい関係をお互い楽に築きやすいんだろうなと、しみじみ思う。離れていると、行くたびに「めったに来ない」と言われちゃうし、かといって長くいると宿泊の世話をかけ、負担が大きいだけにお互いに疲れちゃうしで、どうしていいものやら困ってしまう。

まあ、家族4人の顔見世興行は1泊2日で年に1~2度、夫が数か月に1度顔を出して、義姉と一緒に義父をもてなすというのが、当面の最大公約数といったところだろうか。でもって、ミカンや魚などの季節の地場産品を欠かさず送って、離れていても忘れてないことをアピールし続ける(もちろん夫が。私が選ぶとことごとく義父の好みを外してしまうのだ(笑))。

どうも50代の働き盛りに亡くなって、両親といえば自分が甘えさせてもらう存在でしかなかっただけに、義父との関係は戸惑うことが多いし、同年代と比べてずいぶん違うとも思うけど、まあ、現状でお互いに納得できるギリギリのところを探り合っていった結果、こんな感じになってきた。

マンションを買った件は、結局報告せず。夫に異動の辞令が出た際にでも、話すことになるのかな。。